不可欠なビットコインマキシマリスト

cryptographile
18 min readAug 12, 2022

前書き:

ビットコイナーは嫌われやすい。

ビットコイン以外への投資を頭ごなしに否定するだけの一辺倒な過激派として認識している人も少なくない。

声の大きいマイノリティの主張が目立つネット社会では、「ビットコインに投資している」=「ビットコイナー」と同一視されがちで、実際には多様なビットコイナー像が伝わりにくい。

「ビットコイナー」や「ビットコインマキシマリスト」に明確な定義は存在しないため、人によって捉え方が違うのも事実である。今回はそういった言葉に対する自分なりの解釈を交えながら、僕自身が通称マルチコイナーから自称ビットコインマキシマリストになった経緯と思考プロセスを紹介する。

ビットコイナーが嫌いだからという理由でビットコインへの投資を躊躇するのは危険だ。それが伝わると嬉しい。

cryptographile 2022年7月

本記事は「不可避なビットコイン」の続編である。言うまでもないが投資アドバイスではない。

投資:

価値を保存する機能が備わっていない法定通貨を使わざるを得ない現代では、価値の保存手段として投資が主流である。時間経過とともに減価(購買力が低下)する法定通貨を長期保有することは、自分自身の価値(貴重な時間を費やして社会に提供した価値と引き換えに手にした報酬の価値)を希釈することと同義であり、過去の自分の労働がタダ働きだったことになってしまうからだ。

一等地の豪邸、大企業の株券、有名画家の絵画。これらが何かしらの価値を有することは、大半の人が理解している。時間経過とともにこれらの価格が上昇することは歴史から明白であるため、法定通貨をこれらに交換する行為を人は「投資」と呼ぶようになった。

投資には様々なリスクが伴う。自然災害や政治的な要因で不動産価値が暴落、企業の倒産で株券が紙切れになる、絵画が盗難や破壊の被害に遭う。いささか極端ではあるが、こういったリスクは大なり小なり必ず存在する。そういったリスクを軽減するために様々な資産に富を分散させる必要性が出てきた。

確実に減価する法定通貨を持つくらいなら、多少のリスクを負ってでも価値を保存したいと考えるのは当然であり、その判断を否定するつもりはない。しかし、そもそもリスクを取らなければいけないことに違和感を覚える。

分散投資といえば米国の代表的な株価指数のひとつであるS&P500が有名だ。かのWarren Buffet氏が勧めるだけあって、過去50年のROI (return on investment)は4000%に迫る(Chart1)。一見すると素晴らしいが、これはあくまで法定通貨建の価格であって、実際の価値(購買力)の上昇とは言えない。法定通貨の新規発行率とその減価率を同等とするのであれば、株価をM2マネーサプライ(通貨の総量)で割ればその真の価値が見えてくる。驚くことに、S&P500の50年チャートをM2マネーサプライで割ると、50年間殆ど価値が変わっていないことが分かる(Chart2)。つまり、法定通貨の流通量の増加に伴い、法定通貨建の価格(名目値)が上昇しているだけであり、実際の購買力(実質直)は変わっていないことを意味する。リスクをとった割にはリターンがないのだ。それでもなお、人はこの行為を「投資」と呼ぶ。

Chart 1. S&P500の価格推移/ドル

Chart 2. S&P500/M2マネーサプライの推移

本来、富を保存する行為は「貯蓄」と呼ばれるべきだ。そして貯蓄をする上で様々な資産に分散させる必要性があること自体異常なのだ。もし、外的要因で流通量が増減することがなく、価値の保存や尺度として機能し得る財が存在したらどうだろう?人は財産の減価に頭を悩ます必要がなくなり、リスクを追ってまで投資をしなくても済むのではないだろうか?自分の生産性を高めることだけに集中できるのではないだろうか?

お金:

そもそもお金とは一体なんなのだろう?

太古の人々は経済圏が小さく、基本的には顔見知りとしか取引が行われなかったため、直接的な物々交換が主流だった。しかし経済圏が広がるにつれ、規模の一致、期間の一致、場所の一致の欠如が生じ、徐々に間接交換へと移行していった(1)。物やサービスを交換する際に用いられる貨幣とは市場参加者全員が価値を認識していて、市場性の高い財を指す。貨幣として使用される財は市場参加者が決めるため正解/不正解はないが、優劣はある。時間経過とともに腐敗せず、供給量が急増せず(生産コストが高い)、携帯性に優れた財が貨幣としての適性が高い。ここで重要なのは、貨幣としての適性に貨幣以外の用途・実用性は含まれていないという点だ。

「お金」とはモノやサービスを交換するための手段であり、価値の交渉と時間的制約を排除するための時空を超えたデータベース/台帳である。信用を具現化するテクノロジーのひとつに過ぎない。お金には貨幣と通貨が含まれる。「貨幣」とはモノやサービスを交換する上で使用される価値の象徴であり、「通貨」とは貨幣として流通する媒体を指す。

日本で現在最も主流な「お金」は不換紙幣(Fiat Money)である。「貨幣」は日本円で、「通貨」はお札や硬貨などだ。不換紙幣とは、本位貨幣との兌換が保障されていない法定紙幣のことをいう。政府の信用で流通するお金であることから、信用紙幣とも呼ばれる。先進国が発行するお金は、ほぼ全て不換紙幣である(2)。

日本円には日本銀行という発行体が存在し、独断と偏見で金融政策の名の下、貨幣の流通量の増減(緩和/引き締め)を決定する。金などの本位貨幣との兌換や裏付けが不要なため、生産コストは低く、流通量の増減が激しいのが特徴だ。中央銀行の任務は物価と雇用の安定化であり、通貨の流通量の増減を通じてそれらを人為的に操作することを生業とする。グローバル化した市場と、様々な不換紙幣が飛び交う現代社会で一部の人間がそれを実行するのは至難の業であり、目隠しで運転をするくらい無謀な行為だ。

お金の歴史とは権力者による嘘と略奪の歴史でもある。

ローマ皇帝による金貨の量目・純度の劣化が有名だが、現代も似たようなことが行われている。量的金融緩和策による通貨流通量の急激な増加は貨幣の希釈を意味しており、通貨の減価を招く。中央銀行/政府による貨幣の希釈及び通貨の減価は「経済の活性化」の名目で行われる隠れた税金である(3)。貨幣の生産コストが低いことを利用し、通貨価値の減価を通じて負債の返済義務を軽減することが真の目的だ。ツケの踏み倒しに近い。

また、通貨の減価は一律ではない。新規発行された通貨は、それらが浸透するにつれ徐々に減価していく(カンティロン効果)。従って、減価する前の通貨を手にした一部の特権階級だけが利益を楽しみ、後にもたらされる物価高騰は国民全員を苦しめる。

ビットコイナー:

大前提として「ビットコイナー」という言葉に明確な定義は存在しない。ビットコインを保有するだけの人も、ビットコインノードを自ら構築する人も、ビットコインの開発に参加する人も、全員広義のビットコイナーである。

所有権の行使が可能であり(略奪不可、希釈耐性)、銀行のような取引仲介者や発行する中央組織が存在しない(検閲耐性、非中央集権的)資産であるビットコインは元来どちらかと言うと財政保守的(Fiscal Conservatism)で古典的自由主義(Classical Liberalism)に近い考えを持つ人間に支持されやすい資産クラスであることは間違いない。

お金のカラクリや歴史を紐解くと、彼らがビットコインに魅力を感じる理由がより鮮明になる。特権階級による暴力(武力)を用いた統治から脱却すべく2008年に生まれたビットコインは、その14年弱の歴史の中で絶えず存在意義を議論され、多くの論争を生んだ。現在最も有力な説が「価値の保存媒体」としての役割だ。

コモディティの貨幣化は段階的に行われる。コレクションアイテムとして始まり、需要(購買力)の増加に伴い価値の保存媒体へと進化し、需要が増えるにつれ交換手段となり、ピークに達した後に価値の尺度として機能する(4)。ビットコインはその様々な特徴からお金として非常に優れており、間違いなく貨幣化への道を順当に進んでいる。それを理解した上でビットコインを保有する人が「ビットコイナー」と呼ばれるに相応しいのではないだろうか。

ところで、「Bitcoin」と「bitcoin」の違いはご存知だろうか?日本語だとどちらも「ビットコイン」と表記されてしまうため、混乱を招きがちだが、海外ではしっかり使い分けられている。Bitcoinとはビットコインネットワークを指し、bitcoinはBitcoin上を行き交うネットワークにネイティブなトークンを指す。先の例で言うならば、「お金」がBitcoinであり、「貨幣/通貨」がbitcoinとなる。

ビットコインマキシマリスト:

ビットコイナーを揶揄する際に使われる「マキシマリスト」。

元はイーサリアムの開発者であるVitalik Buterin氏が作った造語である。ビットコインの発明以降、ブロックチェーン技術を使った所謂「仮想通貨」が爆発的に増えた際に、多くのビットコイナーがそれらを批判した。そんなビットコイナーが意固地で排他的だと逆に批判する際に使われたのが始まりだ(5)。現在ではビットコイン以外への投資は全て愚かだと主張する一部の過激派(Toxic Maximalist)の精力的な活動も相まって、あまり印象は良くないが、実はビットコインの貨幣化には不可欠な存在なのである。

各国が自国通貨を発行し、個人による分散投資が常識と化した現代では突飛な考えだと思われるかもしれないが、複数のお金が存在することは本来非常に不自然で非合理的なのである。価値の保存媒体や尺度として最も優れた財が基軸通貨となり、全てのモノやサービスの価値を測る際に用いられる方がよほど理にかなっている。

大半のマキシマリストの主張は至って単純だ。

無国籍、無宗教、非中央集権的で、没収/検閲耐性を持ち、携帯性に優れ、圧倒的なネットワークの安定性を誇り、供給操作を介した価値操作が不可能なビットコインは、現在基軸通貨として使われている法定通貨(米ドル)を含む全ての財の中でお金として最も優れている。

というものだ。それ以上でもなく、それ以下でもない。

アルトコイン:

Buterin氏含む多くのアルトコイナー(マルチコイナー)とマキシマリストが敵対するようになった背景には「仮想通貨(Cryptocurrency)」という言葉にヒントがあると考える。

“Bitcoin dominance maximalism” or just “Bitcoin maximalism” for short — essentially, the idea that an environment of multiple competing cryptocurrencies is undesirable, that it is wrong to launch “yet another coin”, and that it is both righteous and inevitable that the Bitcoin currency comes to take a monopoly position in the cryptocurrency scene. (5)

イーサリアムやライトコインは、ビットコインと同じブロックチェーン技術を使っているという共通点を持つため、アルト(Alt、Alternative、代替、別)コインと総称される。これらがビットコインと同じ仮想「通貨」に分類されたことに一部のビットコイナーが拒絶反応を示したのがことの発端だと推測する。複数のお金の共存に合理性を見出せないビットコイナーにとって、ビットコイン以外の通貨の存在は興味の対象であると同時に脅威ともなり得る。

イーサリアムコミュニティに所属する一部の人間が「ウルトラサウンドマネー」のスローガンを掲げて、ビットコインよりイーサリアムの方がお金として優れていると主張した際、マキシマリスト達が過剰なまでの反応を見せたのは記憶に新しい。イーサリアムのコミュニティ全体がそう信じていたとは到底思えないが、ビットコインマキシマリズムは今も健在なのだと改めて感じさせられる一件だった。

多くの人が忘れがちだが、ビットコインには技術的な側面と社会的な側面がある。ブロックチェーンやプルーフオブワーク(PoW)コンセンサスアルゴリズム等ビットコインをビットコインたらしめる技術革新が新たなお金を形付ける上で非常に重要であったことは否めない。しかしビットコインのお金としての要はそこではない。ビットコインネットワークは参加者のコンセンサス(合意)の上に成り立っているため、発行上限の存在は技術的なものではなく社会的なコンセンサスに依存する。参加者全員が上限を撤廃するべきだと考えたら、2100万枚の上限は消えて無くなる。同じように、参加者全員がPoWからプルーフオブステーク(PoS)への変更を望んだら容易に実現可能だ。

ビットコインはもともと一部の特権階級から通貨発行権を奪う目的で作られた。それゆえビットコイナーは一部の人間によるビットコインの改変に対して基本的に反対なのだ。特にビットコインの経済政策(発行上限)やネットワーク参加者のパワーバランスを大きく揺るがしかねない変更(PoW→PoS等)は実現不可能と言っても過言ではない。ビットコイン革命の根底には「お金は非中央集権的であるべき」という考えがある。すなわち、「誰も恣意的に操作できないお金」である必要があるのだ。こういった社会的コンセンサスを維持するためにマキシマリストは存在するのだと思う。実際、大半のアルトコインに運営が存在し、ビットコインに比べて中央集権的であることに気付いたマキシマリストの多くはそれらへの興味を失った。

僕はマキシマリストなのだろうか?

少し個人的な話をする。

2016年、日銀によるマイナス金利の導入が全ての始まりだった。お金を貯める行為がまるで悪いことだと言われているかのような気がして、お金や経済について自分なり勉強した。最初にたどり着いた答えが「法定通貨を長期保有することが最も愚かである」ということだ。残念なことに、これは歴史が幾度となく証明していて、疑う余地はなかった。そこから株、不動産、金の順に興味の対象が移った。結論としては、どれも法定通貨より富の保存媒体として優れていた。

将来的に減価する法定通貨を貯金するくらいなら、一部前借りしてでも減価しにくい資産に予め替えておく行為は戦略として利口だ。むしろ多くの投資がそれを前提として行われていることに気付いた。株式投資は法定通貨のシステム(カンティロン効果等)を上手く利用できる人物(社長)に資産を託し、巨額な資金の優先的な借入れ等といった企業が持つ特権の恩恵に預かる行為だ。個人の場合、一般的には不動産購入が最も高額な借入れとなる。通貨発行率が金利より遥かに高い現代の日本では、不動産ローンは一般人が使えるインフレ(通貨膨張)対策として非常に優れている。特に現時点でまとまった投資資金がないものの、退職までの期間が長い若い世代にこそ有利な戦略だ。どれも理にかなっているのだが、50年のROIが4000%のS&P500ですら価値の保存が関の山であることに落胆した。

そんな中、ビットコインだけは価値の上昇すらも狙える可能性を感じた。ビットコインが価値の保存や尺度としての役割を担うためには、今の時価総額では全くもって不十分であることは容易に想像できる。したがって、現在その役割を担っている資産(金、不動産、株、債券、アート、貴金属等)の時価総額の一部を吸収する可能性があるのだ。コモディティの貨幣化をリアルタイムで経験することが出来るのであれば、それに投資しないわけにはいかない。数世紀に一度の大イベントだ。それも貨幣化が完成するまでの期間に限られる。複数のお金の共存に合理性を見出せない僕は、そこに気付いた時点で保有していたアルトコインを全てビットコインに替えた。お金に貨幣価値以外の付加価値を求めていない僕にとって、貨幣としての適性が相対的に低いアルトコインへの投資は、それらの運営が約束する付加価値への投資に見えた。非上々企業への投資に近いものを感じたのだ。この判断が吉と出るか凶と出るかは分からないが一定の合理性はあると思っている。

本記事の目的はアルトコインへの投資を否定することではない。投資戦略(期間やゴール)や倫理観は人によって違う。重要なのはビットコインへの投資とアルトコインへの投資を混同しないことだ。ビットコインのROIを超えるアルトコインが出てきてもなんら不思議ではない。ただ、詐欺が横行する未開の地でそのコインを引き当てるのは非常に難しく、複数のアルトコインに分散投資するくらいなら規制や税制的に有利なS&P500で十分だと感じた。僕自身がブロックチェーンの「非中央集権的なお金」以外の用途に懐疑的な部分も大きいが、そういった議論は割愛する。

因みにビットコインが真に非中央集権的であり、権力者による悪意ある変更が不可能だと僕自身が悟ったのは2017年に起きたブロックサイズ戦争と同年8月に行われたBitcoin Cashのハードフォークを目の当たりにした時だ。当時圧倒的な政治的影響力を持った企業(Bitmain社、Coinbase社)や人物(Gavin Andresen氏、Roger Ver氏、 Jihan Wu氏)がビットコインを変えることに失敗したことは非常に重要な事例になったと思っている(6)。

ビットコインの骨化とビットコイナーの最後:

ビットコインの経済政策や哲学が本当に正しいかどうかは我々ビットコイナーにも当然分からない。ビットコインがオーストリア経済学の教えに沿った非常に合理的なお金であるとはいえ、実社会でどういった弊害が生まれるかは予測不能だ。

しかし、国家の強権化や人種間の対立・分断が世界中で進む様を観ていると、そう遠くない未来にビットコインの需要が爆発的に増える気がしてならない。参加者が増えるにつれ、ビットコインを変えようとする運動は必ず増えるだろう。環境汚染、社会的平等や公平性、政治的観点等様々な角度から攻撃してくるはずだ。人の権力欲からビットコインを守るためには、一見無害そうなアップデートすらも許容出来ないようにビットコインのコードを「骨化」させるしかない。そしてそれを実現するにはビットコインマキシマリストが必要不可欠なのだ。

最後は知的好奇心が旺盛なビットコインコアの開発陣との争いになるだろう。皮肉なことに、ビットコインを愛する者同士の戦いを経て、ビットコインは完成するのだ。そして最終的には「ビットコイナー」などという言葉も死語になるはずだ。

個人的にはビットコイン革命で多くの人がブロックチェーンに可能性を見出そうとしてしまったことが非常に残念である。ブロックチェーンは非中央集権的で、検閲/没収不能なお金を可能にした技術の一つでしかない。ビットコイン革命の本質はお金の概念を変えた点にある。そこに可能性を見出して欲しかった。今でこそビットコインの存在意義を倫理的な面から議論するまでに至った僕だが、入り口は皆と一緒だ。

Came for the money, Stayed for the revolution.

「ビットコイナー」という言葉が死語になるその日まで、僕はマキシマリストとしてビットコインを応援する。

参考文献:

(1) Amous S, The Bitcoin Standard, Wiley, 2018(和訳:練木照子)

(2) 不換紙幣, Wikipedia, accessed July 2022

(3) cryptophile_btc, 不可避なビットコイン, Medium, 2020

(4) Boyapati V, The Bullish Case for Bitcoin, Medium, 2018(和訳:練木照子)

(5) Buterin V, On Bitcoin Maximalism, and Currency and Platform Network, ethereum foundation blog, 2014

(6) Bier J, The Blocksize War, BitMEX Blog, 2021

謝辞:Teruko Nerikiさん、ドラフトのレビューにご協力いただき誠にありがとうございました。

この記事以降にMaximalismについて書かれた記事:
https://blog.lopp.net/history-of-bitcoin-maximalism/

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Bitcoin Standard Advocate. ビットコイン信者。Twitter: @cryptographile